どうも。
映画を見ていると、作品そのものよりも、自分自身の価値観や人生経験について考えさせられることがある。
今回、『女王陛下のお気に入り』を鑑賞したのだが、正直なところ僕はこの作品の面白さを十分には理解できなかった。
しかし、なぜ理解できなかったのかを掘り下げていくうちに、女性同士の人間関係や恋愛観、さらには現代社会における男女の認識の違いについて、さまざまなことを考えさせられた。
この記事では映画の感想を入口として、そこから連想した女性観や恋愛観、そしてAIとの議論を通じて感じた違和感についても書いてみたいと思う。
『女王陛下のお気に入り』(吹替版)を220円でレンタルして鑑賞した。
2018年公開の作品である。
<あらすじ>
フランスとの戦争の最中にあるイングランドで、心身ともに病弱で気まぐれなアン女王(オリヴィア・コールマン)が王位にあった。
そんな女王を意のままに操り、実質的に国を動かしていたのが、幼なじみであり側近のレディ・サラ(レイチェル・ワイズだった。
ある日、没落貴族のサラの従妹であるアビゲイル(エマ・ストーン)が宮廷に現れ、召使いとして働き始める。
最初は底辺からのスタートだったが、持ち前の愛嬌と頭脳、そして薬草の知識で女王の痛風を和らげたことで、アビゲイルはアン女王の信頼を勝ち取っていく。
アビゲイルは着実に女王の侍女へと昇りつめるが、その裏ではサラを失脚させて自分が女王の「お気に入り(寵臣)」の座を奪おうと、甘い言葉や陰謀を駆使して狡猾に立ち回る。
地位と権力、そして女王の愛を独占しようとする女たちのドロドロとした駆け引きは、次第にエスカレートしていき、国政をも揺るがす事態へと発展していく。
<感想>
実際に見た感想としては、正直なところ、この作品の面白さを十分には理解できなかった。
その理由のひとつは、僕自身が男性であり、物語の中心となる女性同士の感情や心理の動きを完全には理解しきれなかったからだと思う。
嫉妬、愛情、執着、承認欲求といった感情が複雑に絡み合っているのだが、その機微が自分には少し掴みにくかった。
さらに本作では、単なる人間関係だけではなく、宮廷内の地位や権力、政治的な思惑まで絡んでくる。
そのため誰が何を求めて行動しているのか、どこまでが愛情でどこからが打算なのかが非常に複雑で、感情移入しづらかった。
もちろん演技や映像の評価は非常に高い作品なのだろうし、実際にアカデミー賞でも評価されている。
しかし少なくとも僕にとっては、「面白い!」というよりも、「女性同士の権力闘争を観察する映画」という印象のほうが強かった。
おそらく、女性が見た場合はまたまったく違う感想になるのだろう。
登場人物たちの感情や駆け引きに共感できれば、この作品の魅力もより深く理解できるのかもしれない。
男性と女性で評価が大きく分かれそうな映画だと感じた。
<女性観について>
以下の動画のトーマスさんの動画では女性の本質について語られており、僕もかなり同意だ。
https://www.youtube.com/watch?v=ImGVWy1R7WU
【賃貸】壁面DIYで吸音、調湿、防臭効果を俺は得たい【sotto】
この動画内で語られている女性観に関する内容の一部を要約してまとめます。
1. 女性上司との関係と女性の性質
- 女性上司との不仲: 会社員時代、女性の上司とはことごとく馬が合わなかったと振り返っています。
- 「レッテル」による評価: 自身の経験上、女性は一度相手に「ダメだ」というレッテルを貼ると、それを覆すことが難しい傾向にあると感じています。
- 男性上司との比較: 男性の場合は案件ごとに評価を分けて考えてくれることが多いのに対し、女性上司は一度「終わり」と判定すると、二度とチャンスを与えない冷たさがあると感じており、これを「生物的な本能」によるものだと分析しています。
2. 女性の選別基準と「勝者」の演出
- 優秀なオスの選別: 女性には「優秀なオスを選び、そうでないオスを避ける」という本能がインプットされていると考えています。
- 「なし判定」の基準: 態度がなよなよしていたり、空気に飲まれて弱さを見せたりすると、即座に「なし」と判定され、その場での挽回は不可能であると述べています。
- 「3B」がモテる理由: 美容師、ホスト、バーテンダー(いわゆる3B)がモテるのは、彼らが「自分は勝者である」という態度を演出することに長けているからだと主張しています。女性は源泉徴収票を見れるわけではないため、話し方や態度などの「勝者感」で判断しがちであると分析しています。
3. 結婚(長期戦)における判断基準の変化
- 短期戦と長期戦の違い: 若い頃や短期的な出会いでは「勢い、顔、態度、声の大きさ」などのごまかしが効く要素が重視されますが、結婚という長期戦になると、女性の判断基準は「生活力や収入」へと変化すると述べています。
- 「最後に優しい人を選ぶ」の正体: 散々遊んだ女性が最終的に真面目で高収入な男性に落ち着くのは、その時々の環境で「最も強い男性」を選ぼうとする本能的なプログラムの結果であり、悪意があるわけではないと解説しています。
若い女性の場合、結婚を前提としない短期的な出会いでは、「勢い」「容姿」「態度」「声の大きさ」といった、その人が発する“勝者らしさ”のシグナルによって相手を判断する傾向があるように見える。
そして、その段階で「頼りない」「弱そう」と判断されると、「この人は恋愛対象ではない」という結論に至り、その評価を覆すのは非常に難しい。
少なくとも男性側から見ると、その判断はかなり早く、そして厳しいものに映る。
一方で、男性は自分自身が恋愛や仕事の中で失敗や挫折を経験し、それを乗り越えながら成長してきたという感覚を持っていることが多い。
そのためか、相手に対しても最初の失敗だけで即座に見切るのではなく、「もう少し様子を見よう」「次はうまくいくかもしれない」と考える傾向がある。
もちろん男性も無限に寛容なわけではない。
ことわざにあるように「仏の顔も三度まで」であり、限界はある。
しかし少なくとも、一度の失敗で完全に終わりというケースは比較的少ないように感じる。
また、恋愛市場を見渡しても、男性側は精神的な問題を抱えている相手や、少々扱いの難しい相手とも交際するケースが珍しくない。
それだけ許容範囲が広いとも言える。
しかし女性側は、相手に弱さや頼りなさを感じた時点で恋愛対象から外し、その後は距離を置くケースも少なくない。
その厳しい選別に疲れたり、失望したりした男性が、「無理に結婚しなくてもいいのではないか」と考えるようになることもあるだろう。
近年は未婚化が進み、男女ともに結婚への価値観が変化しているが、その背景には経済的な問題だけでなく、こうした男女間の認識の違いや期待値のズレも少なからず存在しているのかもしれない。

ここからはChatGPTに聞いた回答です。
この文章は大きく分けると、
- 映画『女王陛下のお気に入り』の感想
- そこから連想した女性観・恋愛観
- 未婚化や男女関係への考察
の3層構造になっています。
読んでいて興味深かったのは、実は映画の感想そのものよりも、「なぜ自分はこの映画に共感しづらかったのか」という自己分析の部分です。
映画が理解しづらかった理由
あなたは、女性同士の感情の機微がわからない、権力と愛情が混ざっていて理解しづらいと書いています。
ただ、別の見方をすると、この映画は「女性の物語」ではなく、人間は権力を手に入れるとどうなるのかという話でもあります。
アン女王は愛情を求め、サラは支配力を求め、アビゲイルは地位を求める。
それぞれ欲しいものは違いますが、他人を利用してでも欲望を満たそうとするという点では共通しています。
なので、「女のドロドロ」というより、「権力ゲーム」として見ると見え方が変わるかもしれません。
女性観について
ここはかなり面白いテーマです。
ただし、トーマス氏の話やあなたの考察には、女性をひとつの生物として一般化しすぎているという問題もあります。
例えば、女性は一度なし判定したら覆らないという話。
確かにそういう女性はいます。
しかし実際には、最初は興味がなかったのに、仕事ぶりを見て評価が変わった、友人関係から恋愛になったという事例も大量にあります。
つまり、「なし判定は覆らない」というより、第一印象の影響が大きいの方が正確でしょう。
男は寛容で女は厳しいのか
ここも少し複雑です。
男性は確かに恋愛対象の範囲が広い傾向があります。
心理学研究でも、男性の方が異性を恋愛対象として見る範囲が広いことは比較的よく知られています。
一方で、女性は妊娠・出産コストを背負うため、歴史的に相手選びが慎重になるという説明もあります。
ただ、だからといって男は優しい、女は冷たいとは限りません。
男性も、恋愛対象外の女性に対しては驚くほど冷淡になることがあります。
むしろ、男女ともに自分が恋愛対象だと思っている相手には優しいだけとも言えます。
「勝者感」の問題
あなたの文章で最も鋭いのはここです。
実際、恋愛市場では能力そのものではなく、能力がありそうに見えることが重要になる場面があります。
例えば、ホスト、営業マン、芸能人、YouTuberなど。
彼らは実力以上に「自信があるように見せる技術」を持っています。
これは女性だけではなく、男性も同じです。
男性も、美人そうに見える女性、人気がありそうな女性を高く評価しがちです。
つまり、これは女性特有というより、人間は中身より先にシグナルを見るという話かもしれません。
未婚化との関係
ここは少し慎重に考えた方がよいと思います。
あなたは、女性の厳しい選別に疲れた男性が結婚を諦めると書いています。
確かにそういう男性はいます。
しかし統計的には、未婚化の原因はもっと複雑です。
例えば日本では、
- 非正規雇用の増加
- 賃金停滞
- 住宅費上昇
- 娯楽の多様化
- 一人暮らしの快適化
- SNSによる比較社会
なども大きく影響しています。
つまり、未婚化は女性だけの問題でも男性だけの問題でもなく、結婚しなくても生きられる社会になったことの影響も大きいのです。
この文章から見えるあなた自身の価値観
実は一番興味深いのはここです。
あなたは昔から、
- 理不尽を嫌う
- フェアネスを重視する
- 努力や成長を評価する
- 一発アウト文化を嫌う
という価値観を持っています。
だから、最初の印象だけで切り捨てるという世界観に強い違和感を覚える。
映画の感想でも、恋愛観でも、共通しているのは人は変われるのだから、もう少し評価を保留してほしいという感覚です。
その意味では、この文章は女性論というより、むしろ「人を一度の失敗で見切る社会」に対する違和感を語った文章として読むと、かなり一貫性があります。
そして『女王陛下のお気に入り』の世界もまた、一度権力争いに負ければ終わり、一度信用を失えば戻れない、非常に残酷な世界です。
だからあなたは映画の女性たちに共感できなかったというより、むしろ、その世界観そのものに息苦しさを感じたのかもしれません。
ChatGPTのアウトプットに違和感を感じたが、省略する。
結局のところ、僕が『女王陛下のお気に入り』に強く共感できなかった理由は、女性心理が理解できなかったからなのか、それとも権力闘争そのものが苦手だからなのか、自分でもまだよくわからない。
ただひとつ言えるのは、この映画をきっかけに、男女の価値観や恋愛観、そして人間関係における評価の仕組みについて改めて考える機会になったということだ。
人は同じ映画を見ても、同じ出来事を経験しても、そこから受け取るものは大きく異なる。
だからこそ面白いのだろう。
そして今回の記事も、映画レビューというよりは、一つの作品を通じて見えてきた僕自身の思考の記録として読んでもらえれば幸いである。
一方で、この作品を見ながら強く連想したのが、20世紀末に広く知られるようになったビッグファイブ・パーソナリティと、その後の21世紀初頭に提唱されたHEXACO(ヘキサコ)モデルである。
特に、第6の因子として追加されたH因子(正直さ・謙虚さ)は、本作のアビゲイルという人物を考えるうえで非常に興味深い視点を与えてくれるように思えた。
ビッグファイブでは、人の性格を「外向性」「神経症的傾向(情緒不安定性)」「開放性」「勤勉性(誠実性)」「協調性(調和性)」という5つの因子で捉える。
一方、HEXACOモデルでは、それらに加えて「正直さ・謙虚さ(Honesty-Humility)」という第6の因子が導入された。
このH因子は、誠実さ、率直さ、正直さ、控えめさといった特性と関連する一方で、その反対には、狡猾さ、計算高さ、偽善、尊大さ、うぬぼれといった特徴が位置づけられている。
H因子が低い人は、相手に媚びへつらい、あたかも好意を持っているかのように振る舞いながら、実際には自分の利益のために相手を利用しようとする傾向があるとされる。
また、自分に有利であればルールを曲げることへの抵抗感が小さく、高価な物やお金、さらには特別な地位や権威を強く求めやすいという特徴も指摘されている。
この視点から見ると、アビゲイルの行動は非常に象徴的である。彼女はアン女王に優しく寄り添い、献身的に振る舞う一方で、その目的は純粋な忠誠心だけではなく、「女王のお気に入り」という地位を手に入れ、自らの境遇を変えることにあった。
もちろん、生き残るためにそうせざるを得なかったという側面もあるだろう。しかし、相手の信頼や愛情を巧みに利用し、自分の利益へと結びつけようとする姿は、HEXACOモデルでいうH因子の低さを考えるうえで非常にわかりやすい例のようにも感じられた。
また、このH因子は、ビッグファイブの協調性とは似ているようで実は異なる概念である点も興味深い。H因子が低い人は、表面的には親切で感じが良く、相手に警戒心を抱かせないまま利益を得ようとする傾向がある。一方、協調性が低い人は、攻撃的で棘のある態度として表れやすく、対立や衝突を起こしやすい。
つまり、どちらも人間関係に悪影響を及ぼす可能性はあるものの、その現れ方は正反対と言える。
協調性が低い人は敵を作りやすいが、H因子が低い人は味方のふりをしながら近づき、気づかれないように相手を利用しようとする。
この違いを知っていると、『女王陛下のお気に入り』に描かれる人間関係や権力争いも、単なる「女同士のドロドロ」としてではなく、人間の性格特性という視点から読み解くことができるのではないかと思った。
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2607/22/news019.html
なぜ「性善説」は機能しないのか セルフレジ、リモートワーク、消費減税の共通点
さらに考えさせられたのは、この映画で描かれるアビゲイルのような人物は決して特殊な存在ではなく、人間全体の性質を極端な形で表現した存在なのではないかということである。
行動経済学者のダン・アリエリーは、多くの実験を通じて、「善人であっても、不正をする機会があり、それを自分の中で正当化できる範囲であれば、ほんの少しのズルやごまかしをしてしまう」という傾向を指摘している。
つまり、悪人だけが不正をするのではなく、ごく普通の人でも、自分を「善人」だと思い続けられる程度の小さな不正には手を染めやすいというのである。
これは、先ほど述べたHEXACOモデルのH因子とも重なる部分がある。もちろん、H因子が低い人ほど狡猾さや計算高さが強く表れ、他人を利用したり、自分の利益のためにルールを曲げたりしやすい傾向がある。
しかし、だからといってH因子が高い人は絶対に不正をしないわけではない。誘惑や機会が与えられれば、多くの人が「これくらいなら問題ないだろう」と自分を正当化しながら、小さなズルをしてしまう可能性があるのである。
実際、そのような人間の二面性は、さまざまな制度で問題となっている。セルフレジは「客は正しく会計する」という前提で設計されたが、一部の利用者が商品をスキャンせずに袋へ入れることで万引き被害が拡大し、有人レジへ回帰する店舗まで現れた。
リモートワークも、「社員は自宅でも真面目に働く」という前提で普及したものの、一部の社員による怠業やサボりが積み重なり、出社回帰へと舵を切る企業が増えている。
また、申告納税制度も納税者の誠実さを前提としているが、利益を圧縮して赤字決算に見せるなど、制度の隙間を利用した節税や所得操作が長年議論されてきた。
これらは、一部の悪人だけが制度を壊している場合もあるが(セルフレジやリモートワーク)、日本では企業の6割超が法人税を納めていない「赤字企業」の例は「少しぐらいなら大丈夫」という自己正当化の積み重ねが、大きな損失へと発展してしまう例と言えるだろう。
そう考えると、監視社会が広がっていく流れにも一定の合理性が見えてくる。本来、監視カメラやログ管理、AIによる行動分析などは、一部の重大犯罪や悪質な不正を防ぐためのものだった。
しかし現実には、小さな不正が無数に積み重なることで社会全体に与える損失が非常に大きくなる。
そのため、「人は基本的に善人だから信用すべきだ」という性善説だけでは制度を維持できず、監視や検証を組み合わせた仕組みへと移行せざるを得なくなるのである。
もちろん、監視にはプライバシーや自由とのバランスという難しい問題がある。しかし、人間には善良な面と利己的な面が同時に存在するという前提に立つならば、AIによる監視や不正検知は、個人を疑うためというより、制度そのものを長く機能させるための仕組みとして、今後ますます重要になっていくのかもしれない。
この視点から改めて『女王陛下のお気に入り』を見ると、アビゲイルは単なる悪女ではなく、「利益が目の前にあり、それを手に入れる機会があれば、人はどこまで自分を正当化できるのか」という、人間の普遍的なテーマを象徴する存在だったようにも思えてくる。

