理系はなぜ万能ではないのか――数式で世界を解けるという幻想と、人間社会の「再帰性」

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「頭がいい人の話なのに、なぜか納得できない」 そんな経験はないだろうか。 専門用語が次々と飛び出し、難しい学問の話をされ、こちらが疑問をぶつけると「そこは勉強していない人には分からない」と返される。 それを言われると、一瞬こちらが無知だから理解できないだけなのかと思ってしまう。 しかし、本当にそうなのだろうか。 今回、ある人物との議論で、僕はかなり強烈な違和感を覚えた。 話題は「理系と文系」。 最初はよくある理系・文系論争だと思っていた。 ところが、相手の主張を一つずつ追いかけていくうちに、もっと大きな疑問にぶつかった。 そもそも「頭のいい人が使う強力な道具」と「世界を正しく理解できる道具」は同じなのか? そして、ある分野を具体例として考えてみた瞬間、それまでモヤモヤしていたものが一気につながった。 これは単なる「理系vs文系」の話ではない。 数学、投資、人間社会、専門家の権威、説明能力、そして僕自身が人の論理的欠陥をどうしてもスルーできない理由まで、一本の線でつながっていく話だった。 さらに考えていくと、ある世界では圧倒的な威力を発揮する思考法が、別の世界ではその強さゆえに落とし穴になるという、かなり面白い構造まで見えてきた。 「理系のほうが賢い」「文系のほうが人間を分かっている」。 そんな単純な話ではない。 むしろ問題は、もっと根本的なところにある。 人は、自分が最も得意な「道具」で、世界のすべてを説明できると思い始めた瞬間に何を見落とすのか。 今回はそこまで掘り下げてみた。 この先は、パスワード限定で公開する。

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