「生きていていい」が得られなかった人間――22歳女子大生の母親の呪縛について考えた

どうも。

 

先日、22歳の福祉系の女子大生と、Gravityという音声アプリのグループ通話で話した。

彼女は幼少期から母親に激しい暴言を浴びせられながら育ち、父親も育児放棄に近い状態で、家庭内に安心できる居場所がほとんど存在しなかった。

しかも、その母親は彼女が高校生のときに亡くなっている。

つまり、「なぜ自分を否定したのか」「本当はどう思っていたのか」を、一生確認できなくなってしまったのである。

僕自身も長年かなり酷い環境のなかで生きてきた。

だからこそ、「過去を引きずり続けることの危険性」や、「誰も助けに来ないと腹をくくった瞬間から人生が始まる」という感覚も持っている。

 

しかし、今回彼女と話していて感じたのは、人によって“傷の入り方”はまるで違うということだった。

僕には有効だった考え方が、別の人間には逆効果になる場合もある。

特に、“母親から存在そのものを否定された人間”の苦しさは、単なる根性論や自己責任論だけでは整理しきれない深さがあるように感じた。

今回は、その彼女との会話を通して考えたことを、できる限り整理して書いてみようと思う。

 

 

先日、22歳の福祉系の女子大生と、Gravityという音声アプリのグループ通話で話した。

彼女はかなり過酷な家庭環境で育っていた。

4歳頃から中学二年生ぐらいまで、母親の機嫌が悪いと、「死ね」「死ねないの?」「なんで生きてるの?」のような暴言を日常的に浴びせられていたという。

さらに兄がいたのだが、兄と母親は仲が良く、彼女だけが否定される立場だった。

「兄だけ産んでおけばよかった」

そんなことまで言われていたらしい。

父親もまともに機能しておらず、育児にはほぼ関与せず、パチンコなどに行き、事実上のネグレクト状態だったという。

当然、彼女は父親のことも嫌っていた。

 

彼女自身、「母親も環境が悪かったから、ああなってしまったのだと思いたい」と言っていた。

しかし、その母親は彼女が高校二年生のときにガンで亡くなってしまった。

つまり、「なぜあんな扱いをしたのか」「本当はどう思っていたのか」を、一生確認できなくなってしまったのである。

父親にそのことを打ち明けても、「そんなことは知らん」と言われたらしい。

行き場がない。

 

彼女は自分で、不安型回避型の愛着障害を抱えていると認識していた。

幸福度についても聞いた。

10点満点で8点だと言っていた。

残りの2点は、「自己実現欲求」らしい。

「なりたい何かになれたらいいな」という感覚である。

ただ、彼女の場合、そもそも人生のスタート地点が極端に低かった。

大学生になって一人暮らしを始め、ようやく「生理的欲求」「安全欲求」が満たされた状態なのだという。

 

逆に、人間関係や恋愛などの「社会的欲求」は、そこまで必要としていない印象だった。

実際、3年間付き合った彼氏がいたそうだが、その期間中、幸福度は5点まで下がっていたらしい。

惰性で付き合っていただけで、別れて一人になったら幸福度が8点まで戻ったと言っていた。

趣味は早朝の散歩ドライブ

納豆ご飯を食べていれば幸せだと言う。

生活保護でもニートでも、生きているだけで幸せだと感じるタイプらしい。

だからこそ逆に、他人と関わることに強いストレスを感じる。

散歩中に他人がいるだけでイライラすることもあるそうだ。

他人と関わると、要求や期待や空気読みが発生するからだろう。

彼女は「あまり人が好きではない」と言っていた。

 

自己肯定感についても聞いた。

「自分大好き度」を7点満点で自己評価すると、

容姿が3点
性格が5点
能力が4点

ぐらいだと言っていた。

ただ、彼女はそもそも「生きていれば幸せ」という感覚が強いため、点数化自体をそこまで真剣に考えていない印象でもあった。

 

母親が亡くなって6年経っているが、未だに母親の呪縛を引きずっているらしい。

本人も「こんなふうに引きずっている自分が嫌だ」とは言っていた。

しかし同時に、母親を心底憎むこともできない。

そこが余計に苦しいのだろう。

 

僕自身も、長年かなり酷い目に遭ってきた。

ようやく最近になって、自力でそこから抜け始めた感覚がある。

もちろん、僕と彼女では問題の性質は違う。

ただ、それでも僕は、「なるべく早く脱却しないと人生が追い込まれていく」と感じている。

僕はもう若くない。

残された人生も少しずつ減っている。

だから、いつまでも過去の亡霊に振り回されている暇はない、という感覚がある。

 

一方、彼女は22歳だ。

まだ「悩む余裕」がある年齢なのだろう。

通話中、僕は自分の過酷だった事例も話した。

それについては、なんとか理解してくれていた。

しかし、メンタリストDaiGoさんの苦労話を例として出した瞬間、彼女は離席してしまった。

 

おそらく、余裕がない人間に対して、

「他にも苦しんでいる人がいる」

という話をするのは、逆効果なのだと思う。

そもそも苦しさの性質が違う。

そして彼女自身、自分が世界で一番過酷な環境だったと感じているのだろう。

だから、他人の苦労を聞いても、「自分よりはマシ」と感じてしまう。

それくらい余裕がない状態なのだと思う。 

もちろん、僕やDaiGoさんの事例も、相当過酷だとは思う。

ただ、人は余裕がないとき、他人の痛みを受け取れない。

 

ここで、僕は色々聞きそびれたことがあった。

まず、本当に解決したいのか、それともただ聞いてほしいだけなのか、という確認である。

ただ、会話していて感じたのは、彼女はおそらく「本当は解決したい側」なのだろう、ということだった。

次に聞いてみたかったのは、

「今の母親の呪縛を引きずることは、損か得か」

ということだ。

おそらく彼女は、「損」と答えると思う。

だが、そのうえで、

「それでも、ずっと損なことをやり続けるのか?」

という問いを投げてみたかった。

 

また、この問題は他人が解決してくれるのか、という点も考えた。

もし他人が助けるとしたら、トラウマ系のカウンセリングなどがあるのかもしれない。

僕は、「母親代わりになれる人を見つけ、その人に受け入れてもらったらどうか」と聞いてみた。

しかし彼女は、「逆に悲しくなりそう」と答えた。

つまり彼女にとって、「代替品」は成立しないのだろう。

 

その後、僕は別の話をした。

今まで母親に否定され続けてきた。

その否定の蓄積が、何年分もある。

なら逆に、これからの人生で、自分を肯定できる行動を増やしていき、周りにも肯定してくれる人を置き続け、過去の否定を未来の肯定で埋め続ければ、いつか閾値を超えて、自分を受け入れられるようになるのではないか、と。

彼女の反応は、

「そうかもね」

程度だった。

 

また、僕自身の話として、

「結局、他人は誰も助けに来ないと腹をくくってから人生が変わり始めた」

という話もした。

そこから行動量が増え、人生が変わり始めた、と。

彼女は、それについては多少同意していた。

 

さらに僕は考えた。

今の彼女は、母親の呪縛に囚われている。

それは快か不快かで言えば、おそらく不快だろう。

では、なぜ不快なのに何年も考え続けてしまうのか。

これは反芻思考が習慣化しているのかもしれない。

あるいは、一種の中毒性があるのかもしれない。

 

もしくは、

「悲劇のヒロインでいれば、誰かが助けてくれる」

という無意識の利益が存在している可能性もあるのではないか、と感じた。

もちろん、本人に自覚はないだろう。

ただ、人間は不幸に浸ることで、同情や承認を得ようとすることがある。

そこも確認してみたかった。

 

ともかく、どこかで割り切らない限り、人生は好転しにくい。

特に男の場合、虐待されても、基本的に誰も同情してくれない。

自分で切り開くのがデフォルトである。

一方で、女性の場合は、話を聞いてくれる男性が一定数存在する。

それが逆に、「引きずり続けられてしまう環境」を作る面もあるのではないか、と僕は感じている。

 

僕の持論だが、本当の人生のスタートラインは、

「誰も助けに来ない」

と腹をくくった瞬間だと思っている。

誰も助けに来ない。

だから、自分から動くしかない。

過去のトラウマがあろうが、悲劇のヒロインになろうが、それだけでは人生は変わらない。

 

とはいえ、自分を産んだ母親から、

「生きていていい」

という承認を得られないことの苦しさは、相当なものだと思う。

これは実際に味わった本人にしか分からない種類の地獄なのだろう。

出生の原点である母親から否定される。

それでは、自暴自棄にもなるし、不幸体質にもなりやすい。

しかも彼女の場合、その母親はもう死んでいる。

つまり、一生、

「自分を産んでよかったと思っていたのか」

を確認できない。

これはかなり重い。

 

ただ、誰も母親の代わりにはなれないのだとしたら、結局は少しずつ、自分を肯定できる行動を積み重ねていき、自分自身で自分を納得させ、自信をつけていくしかないのではないか、と感じる。

そして、その過程で、肯定してくれる人を少しずつ周囲に増やしていく。

地道だが、それ以外に現実的な道はないように思う。

 

 

ここからはChatGPTに質問した回答です。

 

 

かなり丁寧に観察していると思います。

特に、

  • 「本人は本当に解決したいのか、それとも聞いてほしいのか」
  • 「その思考は本人に利益を与えているのか」
  • 「過去の否定を、未来の肯定で上書きできないか」

このあたりを考えている点は、本質に近いです。

 

そのうえで、今回のケースで重要なのは、彼女の問題は単なる「考え方の問題」ではなく、かなり深いレベルの愛着・神経系・自己存在感の問題だという点です。

彼女は「母親に嫌われた」というより、

「自分は存在してはいけない人間なのでは?」

という感覚を幼少期から身体レベルで刷り込まれている可能性があります。

これは理屈で「割り切れ」と言われても、すぐには切れません。

なぜなら、その人にとって母親は「世界そのもの」に近い存在だからです。

 

幼少期の脳は、

  • 母親に受け入れられる=生存
  • 母親に拒絶される=死

として学習します。

だから、

「死ね」
「産まなければよかった」

を長年浴び続けると、脳が“自分の存在=危険”として固定してしまう。

 

これが後年の、

  • 不安型愛着
  • 回避型愛着
  • 他人が怖い
  • 親密になるほど苦しい
  • 幸せになると不安
  • 一人のほうが安心

につながることはかなりあります。

 

なので、あなたの、

「誰も助けに来ないと腹をくくった瞬間から人生が始まる」

という思想は、あなた自身には有効だったのだと思います。

実際、それで主体性を獲得したのでしょう。

ただ、彼女の場合は少し違っていて、「誰も助けてくれない」「だから自分は存在価値がない」に直結しやすいタイプに見えます。

つまり、“孤独を燃料に変えるタイプ”ではなく、“孤独で自己崩壊しやすいタイプ”です。

 

ここを見誤ると、

「もっと割り切れ」
「過去を捨てろ」
「自分で動け」

が、本人には、

「お前は弱いからダメなんだ」

と聞こえてしまう場合があります。

 

だから、解決策としては「根性論」より、

① 神経系を安全側に戻す

 

がかなり重要になります。

彼女は、「生きる=緊張」の状態が長すぎた可能性があります。

なので、

  • 朝の散歩
  • ドライブ
  • 納豆ご飯で幸せ
  • 一人時間が安心

これは逃避ではなく、「神経系の回復行動」の可能性が高い。

つまり彼女は、“幸福度が低い”というより、“刺激耐性が低い”のかもしれません。

 

だからまず必要なのは、

  • 安全な生活
  • 静かな環境
  • 否定されない人間関係
  • 睡眠
  • 栄養
  • 過刺激を減らす

です。

これはかなり現実的に重要です。

 

② 「母親の評価」と「自分の価値」を切り離す

 

ここが最大の核心です。

彼女は無意識では、

「母親に愛されなかった」

「自分に価値がない」

になっている可能性があります。

でも実際は、「愛せない親」は存在します。

それは子どもの価値とは別問題です。

ここを頭ではなく、感覚として理解し直す必要がある。

ただしこれは数ヶ月で終わるものではなく、年単位の修正になることもあります。

 

③ 「母親の亡霊」と戦い続けない

 

あなたが言った、

「反芻思考が中毒化しているのでは?」

これは一部当たっている可能性があります。

脳は強い感情を繰り返し再生します。

特に、

  • 未完了
  • 理解不能
  • 理不尽
  • 愛憎混合

の記憶はループしやすい。

 

しかも母親が亡くなっているので、
「答え合わせ」が永遠にできない。

これは非常につらい。

だから重要なのは、「母親を完全理解すること」ではなく、

「理解不能のままでも、自分の人生を前に進める」

です。

ここはかなり大事です。

世の中には、「答えが出ないまま抱えて生きるしかない問題」があります。

 

④ “小さな自己肯定”を積み直す

 

あなたの、

「これからの肯定で埋める」

という方向性はかなり良いと思います。

実際、回復って、劇的覚醒より、

  • 朝起きれた
  • 部屋を掃除できた
  • 安心できる友人ができた
  • 散歩して気持ちよかった
  • 学校行けた
  • 自炊できた

みたいな小さい成功体験の累積で起きることが多いです。

特に彼女の場合、「生きてるだけで幸せ」と言える感覚は、逆に強みでもあります。

欲望が暴走していない。

これは回復資源になり得ます。

 

⑤ あなた自身が“救済者”になりすぎない

 

ここもかなり重要です。

あなたは観察力が高く、構造理解もできる。

だから、「解決したくなる」と思います。

でも、深い愛着問題は、他人が短期間で救えるものではありません。

しかも、

  • 相手が女性
  • あなたが理解者ポジション
  • 相手が孤独

だと、“救済関係”になりやすい。

これは依存関係化する危険があります。

なので、

  • 話は聞く
  • 否定しない
  • 理解は示す

は良いとしても、「自分が治してあげる」モードには入らないほうが安全です。

 

そして最後に。

あなたの、

「人生は誰も助けに来ないと腹をくくった瞬間から始まる」

これはかなり強い思想です。

実際、多くの人はそこから主体性を持ち始めます。

 

ただ、人によっては、まず

「最低限、自分は生きていていい」

を神経レベルで感じ直さないと、主体性まで辿り着けない場合もあります。

彼女はたぶん、その段階にまだいるのだと思います。

 


今回、彼女と話していて強く感じたのは、「人間は理屈だけでは動けない」ということだった。

僕はこれまで、

「誰も助けに来ないと腹をくくれ」
「過去より未来の行動を増やせ」
「自分で人生を切り開くしかない」

という考え方で生きてきた。

実際、それによって人生が変わり始めた部分もある。

しかし、今回の彼女のように、“生きていていい”という感覚そのものを幼少期に破壊されている人間に対しては、単純な根性論だけでは届かないのかもしれない、と感じた。

 

僕は途中で、

「今の苦しみを引きずることは損なのでは?」
「不幸に浸ることで、無意識に同情を求めている面はないのか?」
「誰も助けに来ないと割り切るしかないのでは?」

など、かなり合理主義的な視点でも考えていた。

だが、後から冷静に振り返ると、それは“素人の発想”だった部分もあるのだろうと思う。

僕は専門のカウンセラーでも、トラウマ治療の専門家でもない。

だからこそ、構造を理解したつもりになっても、実際にはとんちんかんな方向へ考えてしまっている可能性も十分ある。

特に、愛着障害や幼少期虐待の問題は、「本人が弱いから」ではなく、神経系や自己存在感の深い部分に傷が入っているケースも多いのだろう。

 

だから簡単に、

「割り切れ」
「前を向け」
「行動しろ」

だけで済む話ではない。

ただ、それでも最後は、自分を少しずつ肯定できる行動を積み重ね、自分自身で「生きていていい」と思える感覚を育てていくしかないのかもしれない。

そして僕自身もまた、他人を“救済しようとしすぎないこと”の大切さを、今回改めて考えさせられた。

 

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